痔闘病記 神戸・大阪編

1-5 いざ肛門科

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「最高でなければ、最速を」
俺がライバルと目する、サイバーエージェント社長 藤田晋さんの言葉だ。 2008年6月7日、土曜日の俺の朝の準備は、最速だった。
異変に気づき耐えること数日、俺は、この日、ついに肛門科を訪問する。

数晩にわたる調査によって、俺の頭にはベストオブベストの誉れ高い、肛門科の名前が入っていた。

大阪 黒川 診療所 (肛門科)。

大阪どころか、日本でも最高峰の一つと言われる肛門科が、近所の大阪駅前第二ビルにある奇跡。
大阪駅前第二ビルには、俺が卓越したマーケティングスキルを手に入れるべく通いつめたダイコクと、保険もきいてお得なマッサージ屋さん「ありさ整骨院」がある。
言い換えると、ホームだ。

黒川診療所の、土曜の朝の9時30分からだ。だが、オープンと同時に入って、焦ってると思われるのも癪だ。
朝の準備は最速だった俺だが、あえて余裕をみせて10時に黒川診療所に到着。自動ドアに滑り込む。

俺は言葉を失った。

待合室は、女性ばかりだったんだ。

「どうせ痔になるやつなんて、おっさんばっかりなんだろうな」と思っていた俺の予想は最初から覆される。
清潔感のある診療所は、窓口を正面に構え、ベンチが3ー4個並んでいる。そして、1ベンチ1人くらいの間隔で、女性が並んでいる。

しかし、ここで怯むわけにはいかない。
俺は窓口の受付の女性にむかって低い声で言い放ってやった。

「おしりが痛いんです。ぷっくりしてるんです。

肛門の痛みの前に、言葉は無力だった。この痛みは表現できねぇ。。。

問診票を渡され、症状を書き込む俺。そんな合間にも、俺は病院の観察をかかさない。壁に貼られたポスターの標語に視線を走らせる。

「ウォシュレット使い過ぎへの警鐘」
「円形クッションの危険性」
「当院は切らない病院です」

こんな標語、言葉の組み合わせ、27年間、見たこともなかった。
どうやら、俺の知らない世界が、ここにはあるらしい。。。

いよいよ俺の診察の番が来た。

扉を開けると、そこにはウェブサイトにも載っていた先生がいた。
簡単に症状を伝えると、先生は、「じゃぁ、横向きでベッドに寝て、ズボンとパンツを下ろしてください」と俺に告げた。

ズボンとパンツを下ろすと、阿吽のタイミングで看護婦さんが登場、俺の姿勢を修正し、俺は見事なタツノオトシゴのような態勢をとる。
先生の触診が始まった。

「あぁ、これね。どう?どう? ここでしょ、ここ。」
先生の指先は的確だった。俺の敏感な腫瘍を刺激する。数回、痛む場所を確認するやり取りの後、俺の肛門越しに先生が声をかける。

「じゃぁ、そっちの台に乗ってください」

「ん?」
この姿勢のまま検査とか、処置とかするんじゃないのか? 疑問をいだきつつ半身を起こした俺は、先生の指先を目で追い、絶句した。

photo

分娩台!?

これが、後日「梅田の屈辱」と呼ばれることになる一日の幕開けだった。

2 Comments

  1. すいません・・・。仕事中に、吹き出しました(笑)
    3日前から、お尻が痛いのが止まらなかったのに、分娩台のあたりで、脱力して、痛いの飛んでいったよ(笑)

  2. はなさん、
    コメントありがとうございます。
    皆さんの肛門の痛みを忘れさせることができるなんて、分娩台にのった冥利につきるとは、このことですね。しかし、早く治療に行ってくださいね。肛門を笑うものは肛門に泣きます。今後ともよろしくおねがいします。
    > すいません・・・。仕事中に、吹き出しました(笑)
    > 3日前から、お尻が痛いのが止まらなかったのに、分娩台のあたりで、脱力して、痛いの飛んでいったよ(笑)

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